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- 騎士くんと電車女
氷室 エヌさん

氷室エヌと申します。 お手柔らかにお願い致します。 Twitter始めました。→@himuro_n
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平日、朝八時五分。東京方面行きの電車には、当然ながら人が多い。俺が毎朝乗るのは二号車で――あいつがよく乗るのも、何故か二号車だ。
いつものように満員の車内に滑り込み、教科書を詰め込んだリュックサックを人の迷惑にならないように足下に置く。駅を数個過ぎれば、視界に入ってくるのは人の背中や後頭部のみという状況になってしまった。
「……い、おーい。騎士くん」
ふと、誰かが俺のことを呼んだ気がして何とか首を巡らせる。後ろを向けば、そこにはつむじが見えた。艶やかな黒髪とその背の低さ。見覚えがある。見覚えしかない。
「……ああ、お前か」
電車女、と一昔前に流行ったドラマのタイトルをもじってそいつの名を呼べば、彼女は顔をあげた。憂鬱なはずの満員電車の中で、何故か楽しそうに笑っている。
「ふふ、相変わらず眠そうな顔してるね」
電車女、と、俺が呼ぶ女がそこにいた。どこかの制服――おそらく私立校だろう――を着ているところを見れば、俺と同じ高校生だということが伺える。学年までは判別できないが。
俺達は数週間前、この八時五分の二号車で出会った。声をかけたきっかけなど些細すぎて思い出せないが、そこから殆ど毎朝この女は俺に声をかけてくるようになった。
「些細なきっかけだなんて、傷つくなあ。騎士くんは私を助けてくれたじゃない。痴漢から」
痴漢、という言葉に彼女の周囲にいたサラリーマンがすぐさま両手で吊革を掴んだ。賢明な判断だ。
そう――そうだった。数週間前、俺は痴漢にあっているこの少女を助けた。助けたというか、知り合いのふりをして声をかけただけだったのだが、それでも犯人に対しては有効な抵抗だったようだ。犯人が逃げるように電車を降りてから、彼女は震える声で俺に礼を言った。何度か狙われたことがあるのだ、とも。
要するに懐かれてしまったのだ。それから彼女は、俺のことを「騎士くん」と名誉あるあだ名で呼ぶ。本名は教えていない、聞かれたことがないからだ。俺から彼女の名前を聞いたこともない。
「あの時の騎士くんは格好良かったなあ。本当にナイトみたいだった。正義感強いんだね」
「それはない、と思うぞ」
「えー? 正義感がなかったら見知らぬ人を助けたりしないでしょ」
私が次の駅で降りれば済む話だったんだし、と彼女は笑って続ける。そういうものなのだろうか。
「俺だったら、怖くて二度と同じ電車には乗れないね」
「大丈夫、騎士くんを痴漢する人なんていないよ」
「例え話だよ」
そこまで言って俺は、何故この女は同じ電車に、しかも同じ二号車に乗り続けるのだろうと思った。
ラッシュの時間帯には、女性専用車両というものが存在する。それに乗ってしまえば痴漢にあう心配などないだろうに。そういえばこれも本名と同様、彼女に聞いたことがない案件だった。
「騎士くん? 何難しい顔してるの? 小テストでもあるの?」
暢気にそんなことを言う電車女――思えばこのあだ名は「騎士くん」に比べて不名誉すぎやしないか――に、俺は考えていたことを告げた。
「お前、どうして女性専用車両乗らないんだ?」
「……んー、えー、それ聞く?」
彼女は数秒の沈黙のあと、おどけるようにそう言った。僅かに顔が赤い。
答えを聞く前に、次の駅に到着するという旨のアナウンスが流れ始めた。それは彼女が毎朝降りる駅である。
「……あのね、二号車にかっこいい人がいるから」
「は?」
「目の前に」
電車女は上目遣いに俺を見つめた。
「……その人がさ、ナイトみたいに助けてくれたら、毎朝会いたいなってなるでしょ?」
「……おい、それって」
俺は何かを言い掛けた、が。その言葉は再びアナウンスにかき消される。
少女は慌ててスクールバッグを持ち直し、開いたドアへと向かっていった。
「じゃ、じゃあね!」
「あ、おい!」
駆けていく彼女の後ろ姿を見送り、俺は赤くなった頬を隠すように俯いた。畜生、反則だあれは。
――正義感がなかったら見知らぬ人を助けたりしないでしょ。
彼女の声が脳内で響く。違う、俺のあれは正義感なんかじゃなかったんだ。
ずっと、二号車に乗るお前を見ていたから。だから、咄嗟に体が動いていた。そう言ったら、彼女はどんな顔をするだろうか?
驚く電車女の表情を想像しながら、俺は少しだけ微笑んだ。次会ったら、本名も聞いてやろう。そう決意して。