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17/03/14 コンテスト(テーマ):第131回 時空モノガタリ文学賞 【 電車 】 コメント:3件 むろいち 閲覧数:444
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電車が川に架かった陸橋を通過する。 土手の菜の花が満開だ。 僕の通勤列車から見える景色。 それは、朝ならば駅に間も無く到着の合図。夜は家路を急ぐ気持ちに拍車をかける象徴。 これを毎日繰り返している。 お馴染みの川。 しかし、一度も降り立ったことはない。 散歩でもすれば気持ち良さそうだけど、出勤途中にはできない。 かといって休みの日にわざわざ出かけるのも億劫だ。 遠くに眺めて、電車が陸橋を通過する走行音がイヤホン越しに届くだけ。 河原で釣りをしているおじさんをいつも見る。 この川で何が釣れるのか、実際に釣れているのかは知らない。 折り畳みの椅子に座って、釣り糸を垂らし、水面をじっと見つめている。 電車が橋を通過する一瞬しか、姿は確認できないので、もしかしたらめちゃくちゃアグレッシブに動いているのかもしれないけど。 ただその一瞬で向ける眼差しには、僕は満員電車でキツい思いをし、さらに会社でクタクタになるのに、おじさんはのんびり気ままで良いよなという羨望が強く含まれている。 一週間前くらい前もそうやっておじさんの方を見た。 おじさんがちょうどこちらを見上げた。 目が合ったような気がした。 距離もあるし、向こうから僕を認識できるはずがないから、気のせいだろうけど。 おじさんは笑っているように見えた。 その次の日からおじさんを見なくなった。 見かけなくなって一日であれば、「今日はいないのか」で済むが、もう一週間が経った。 別に知り合いでも何もないのに気になってしまう。 自意識過剰だろうけど、僕と目が合ったせいじゃないかなんて不安になる。 おじさんだって、釣りばかりしているわけではないだろうと分かっていながらも、ほぼ毎日見かけていたのだから、気になるのも自然だと思う。 朝はもちろん、おじさんが座っていた位置を注視するし、会議の最中も頭の片隅で、おじさん、どうしたのかなとか思ってしまうし、帰りは帰りでもしかしたら夜釣りに転向したのかもと真っ黒な川に向けて目を凝らしてしまう。 やっていることは「おじさん」の存在確認だけなのだが、これが案外大変。 おじさんが見える位置を確保せねばならず、電車に乗る前のライン取りから始まって、乗車してからも満員の中で身をよじらせながら移動する孤独で密かな戦いを繰り広げられていた。さらに自分の前の席が空いても座らないので、きっと変な人に思われていただろう。ぎゅうぎゅう詰めの苦痛から少しは解放されるというのに。 そうこうしている内に、おじさんを見なくなって二週間が経って、今日を迎えた。 もうおじさんを見かけることはないような気がした。 きっとおじさんはまた別の川に行ったのだろう。 でも実際に自分の足で確認しないと区切りがつかない気がする。 そして、今日は最高の天気だ。 今日以外はないに決まっている。 会社を休もう。 欠勤理由を考えることも忘れて、課長に電話をかけてしまった。 珍しいことに驚いていたが有給を取れた。 川に行く。 気分の問題か、普段よりも早い電車に乗ってしまった。 そして、途中で普通列車に乗り換えて、いつも通り過ぎるだけの駅に初めて降りる。 初めての景色なのにデジャヴみたい。 それはそうだ。 毎日のように見ているのだから。 土手に降り立った。 菜の花はまだバッチリ咲いて、ミツバチがくるくる回っている。 菜の花の間を歩いて川辺にたどり着いた。 やはりおじさんはいなかった。 おじさんが椅子を置いていた辺りに座ってみた。 おじさんの見ていた景色。 橋が見える。 赤なんだ。 水面に目を下ろすと眩しい。 魚がいるかは分からない。 せせらぎが気持ち良い。 その間から、電車の走行音が聞こえてくる。 時間を考えるときっといつも乗る電車だ。 この前のおじさんのように見上げた。 こちらを見ていた若者と目が合ったような気がして、笑ってしまった。 今日は僕がおじさんだ。(了)
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17/04/15 むねすけ
途中、おじさんに出会うだろうか、出会って欲しいと思いつつ読ませてもらって裏切られたラストでしたが立場の変換にカタルシスを感じました面白かったです
17/04/16 むろいち
むねすけ様お読み頂き、またコメントを頂戴しありがとうございます。面白かったと言って頂き、大変嬉しいです。ありがとうございます。
電車が川に架かった陸橋を通過する。
土手の菜の花が満開だ。
僕の通勤列車から見える景色。
それは、朝ならば駅に間も無く到着の合図。夜は家路を急ぐ気持ちに拍車をかける象徴。
これを毎日繰り返している。
お馴染みの川。
しかし、一度も降り立ったことはない。
散歩でもすれば気持ち良さそうだけど、出勤途中にはできない。
かといって休みの日にわざわざ出かけるのも億劫だ。
遠くに眺めて、電車が陸橋を通過する走行音がイヤホン越しに届くだけ。
河原で釣りをしているおじさんをいつも見る。
この川で何が釣れるのか、実際に釣れているのかは知らない。
折り畳みの椅子に座って、釣り糸を垂らし、水面をじっと見つめている。
電車が橋を通過する一瞬しか、姿は確認できないので、もしかしたらめちゃくちゃアグレッシブに動いているのかもしれないけど。
ただその一瞬で向ける眼差しには、僕は満員電車でキツい思いをし、さらに会社でクタクタになるのに、おじさんはのんびり気ままで良いよなという羨望が強く含まれている。
一週間前くらい前もそうやっておじさんの方を見た。
おじさんがちょうどこちらを見上げた。
目が合ったような気がした。
距離もあるし、向こうから僕を認識できるはずがないから、気のせいだろうけど。
おじさんは笑っているように見えた。
その次の日からおじさんを見なくなった。
見かけなくなって一日であれば、「今日はいないのか」で済むが、もう一週間が経った。
別に知り合いでも何もないのに気になってしまう。
自意識過剰だろうけど、僕と目が合ったせいじゃないかなんて不安になる。
おじさんだって、釣りばかりしているわけではないだろうと分かっていながらも、ほぼ毎日見かけていたのだから、気になるのも自然だと思う。
朝はもちろん、おじさんが座っていた位置を注視するし、会議の最中も頭の片隅で、おじさん、どうしたのかなとか思ってしまうし、帰りは帰りでもしかしたら夜釣りに転向したのかもと真っ黒な川に向けて目を凝らしてしまう。
やっていることは「おじさん」の存在確認だけなのだが、これが案外大変。
おじさんが見える位置を確保せねばならず、電車に乗る前のライン取りから始まって、乗車してからも満員の中で身をよじらせながら移動する孤独で密かな戦いを繰り広げられていた。さらに自分の前の席が空いても座らないので、きっと変な人に思われていただろう。ぎゅうぎゅう詰めの苦痛から少しは解放されるというのに。
そうこうしている内に、おじさんを見なくなって二週間が経って、今日を迎えた。
もうおじさんを見かけることはないような気がした。
きっとおじさんはまた別の川に行ったのだろう。
でも実際に自分の足で確認しないと区切りがつかない気がする。
そして、今日は最高の天気だ。
今日以外はないに決まっている。
会社を休もう。
欠勤理由を考えることも忘れて、課長に電話をかけてしまった。
珍しいことに驚いていたが有給を取れた。
川に行く。
気分の問題か、普段よりも早い電車に乗ってしまった。
そして、途中で普通列車に乗り換えて、いつも通り過ぎるだけの駅に初めて降りる。
初めての景色なのにデジャヴみたい。
それはそうだ。
毎日のように見ているのだから。
土手に降り立った。
菜の花はまだバッチリ咲いて、ミツバチがくるくる回っている。
菜の花の間を歩いて川辺にたどり着いた。
やはりおじさんはいなかった。
おじさんが椅子を置いていた辺りに座ってみた。
おじさんの見ていた景色。
橋が見える。
赤なんだ。
水面に目を下ろすと眩しい。
魚がいるかは分からない。
せせらぎが気持ち良い。
その間から、電車の走行音が聞こえてくる。
時間を考えるときっといつも乗る電車だ。
この前のおじさんのように見上げた。
こちらを見ていた若者と目が合ったような気がして、笑ってしまった。
今日は僕がおじさんだ。
(了)