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家永真早さん

ブロマンスやロマンシスが書きたい。 何気ない日常や、日常の中の非日常を書くのが好きです。

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通勤電車

17/03/14 コンテスト(テーマ):第131回 時空モノガタリ文学賞 【 電車 】 コメント:0件 家永真早 閲覧数:214

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 通勤時間の長い湯本は、いつも決まった始発電車に乗った。6時54分発、4両目、進行方向右側、先頭の長座席、ドア寄り。
 自宅の最寄り駅からの乗客は少なくないが、立っている客はほとんどいない。
 湯本は、通勤時間を概ね睡眠に充てた。降車駅近くに目を覚ますと、いつの間にか車内は混んでいる。8時10分を少し過ぎた頃。次の駅は乗客の入れ替わりが激しい。湯本の降車駅はもう少し先だ。
 運転間隔を調整しながら、5分遅れで電車は駅に入った。立っている客も、隣に座った客も降りて行った。隣には間髪入れずに他の客が座る。湯本の前には、一人の若者が立った。
 リュックサックを前に抱え、目はスマートフォンに釘付けだ。髪は独特の色に染めている。大学生の男の子だった。
 あと2駅。湯本は軽く目を閉じた。電車は張り切り、2分遅れで降車駅に着いた。電車が停まると同時に目を開け、鞄を抱えて湯本は立ち上がり一歩踏み出す。入れ替わるように、大学生が座った。
 慌ただしい乗降を終えた電車は風を巻き込み湯本を追い越して行った。コートが後ろから煽られた。風は冷たい。
 大学生とは長い付き合いだった。今年でもう4年めになるだろうか。名前は知らない。会話をしたこともない。お互い、降りる駅と乗る駅だけを知っている。
 4年前湯本は、今の家を買ったばかりの頃だった。憧れの一軒家は郊外で手に入れるので精一杯。妻は転職し、湯本の通勤時間は以前の倍になった。
 長い通勤時間を少しでも快適にしようと、始発電車を狙って乗ることにした。朝は早く、会社にも少し早めに着くが、座れないより良い。当時は乗る車両も座席もまちまちだったが、4両目の先頭ドアが降車駅の階段に最も近いと分かり、ダイヤの改正がありつつも今の席がほぼ指定席のようになった。
 大学生を見掛けるようになったのは、5月の連休を過ぎた頃だった。それまでも度々彼は湯本の前に立っていたかもしれないが、湯本が彼を認識した時にはもう、毎日湯本が彼に席を交代するようになっていた。
 当時から彼は独特の髪色をしていた。フリーターかとも思ったが、時折テキストを開いていることもあったので、大学生だと思った。


 翌日の朝、いつもの車内で湯本が目覚めると妊婦が立っていた。慌てて立ち上がり席を譲る。妊婦はお礼を言って座った。今まで気付かなかったが、これまでも妊婦や老人などがこうして湯本の前に立っていたこともあったのかもしれないと少し申し訳なく思いつつ、吊り皮に掴まり電車に揺られた。次は、大学生の乗車駅だ。
 大学生はいつも通りいつもの席の前にやって来たが、席に座る人物を見、そして思わずのように湯本を見、それから慌てて視線を逸らして吊り皮に掴まった。
 いつも一瞬すれ違うだけの彼と並んで立つ。彼はスマートフォンを見て首を傾けているが、湯本よりも背が高いようだった。湯本には中学生と小学生の娘がいるが、息子がいたらこんな感じなんだろうかと思った。そして、故郷の父を思い出したりした。それから、娘もいつか結婚して、お婿さんを連れて来ることあるんだろうなとも思って、ほんの少し項垂れた。


 数日後、大学生の姿を見掛けなくなった。寒い季節だし体調を崩したか、時間割の関係かと湯本はぼんやりと思った。だが、目の前に立つスーツの若者が彼だと、降りる時になって初めて気が付いた。
 就職活動だろう、彼は髪を黒く染めていた。いかに湯本が彼を髪色だけで認識していたかが分かる。4年間、彼の足と髪だけを見ていた。スーツの若者が彼だと気付けたのは、いつぞや並んで立った際、右頬の下側にほくろがあるのを見つけたからだった。
 翌日からも彼は黒髪だった。湯本は就職に苦しんだ世代だが、今は活動開始時期が早まっているように感じる。にも拘わらず、彼はようやく今髪を黒くし、少し遅いスタートだと思った。


 一ヶ月ほど後、彼は再びスーツで湯本の前に立った。走って来たのか、髪と息とスーツが乱れている。走行中の車内で、おもむろに身なりを整え始めた。Yシャツの第一ボタンを留め、ネクタイを首にかける。座ってからでも良いんじゃないかと湯本は思った。案の定、ネクタイがうまく結べない様子だった。
 揺れる中、彼は何度もネクタイを結んでは解く。湯本は彼を盗み見ながら、もどかしく感じた。
 考えるよりも先につい、自身のネクタイを解いていた。就職してから20年弱、指先に染み付いた動作だ。湯本はゆっくりとネクタイを結び直した。
 一駅ずつ降車駅に近付いて行く。湯本の動きに合わせて、彼もネクタイを結んだ。結び目を押し上げて間もなく、駅に着いた。それからはいつもと変わらず、湯本は鞄を抱えて彼とすれ違い、電車を降りる。風を巻き込んだ電車が湯本を追い越して行った。
 暖かい風が吹く頃、湯本は彼を電車で見掛けることはなくなった。


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